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和尚さんが何気ないことをつぶやいています。
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我以外、皆師匠なり!?

2012/05/14 23:58
今、私は鍼灸師の横山先生のもとで勉強させて頂いている。横山先生は弟子という言葉を使わない。

どうしてか?尋ねてみると、教えると学ぶの漢字の成り立ちを教えて頂いた。

「教」「学」という字は、交わるという意味がある。だから、教えるのではなく、教えさせて頂くことにより、自分も学ばさせて頂くのです。
まだまだ分からないことが多いので、色々教えて下さいとおっしゃっていた。

横山先生は現在73歳で、歩く辞書みたいな方である。
そして、腕もすごい。

先生は、大塚敬節先生や小川先生などの多くの人に教えて頂き、漢方や鍼の技術を学ばせて頂いたという。

こないだ本を出版され18冊目。

そんな凄い先生だが非常に謙虚で、まだまだ勉強不足とおっしゃっている。

私が住職になった時、どんな方々に対しても頭を畳にすりつけるくらい、頭を下げなさいと教えられた。

横山先生と出会い、その意味が心の底から分かった。

  
  玉は琢磨によりて器となる。
  人は練磨によりて仁となる。

                   「正法眼蔵随聞記より」
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阿吽の呼吸

2012/05/08 00:15
お互いの調子や気持ちが一致することを阿吽の呼吸という。

阿吽とは、サンスクリット語を音写したもの。

 音写とは音を漢字にしたもの。例えば、「オハヨウ」という音を一字一字漢字にすると「御歯代有」なんていうふうに なる。「ヨロシク」を「夜露死苦」とただ漢字にしたもの。

よく神社の狛犬(こまいぬ)やお寺の山門にいる仁王像が「あ」という口の形と「うん」という口の形をしている。

神社、お寺の方から見ると、阿形は左側(東側)にあり、吽形は右側(西側)にある。

口が開いているのは陽を表し、口が閉じているのは陰を表している。
また呼吸は呼気が陽、吸気が陰である。

気が付かれた方もいると思うが、これは陰陽の考え方の影響を受けている。

つまり、陰と陽はバランスを保ちながらめぐり廻っている。

水は水蒸気になり空に昇り、雨になって地上に落ちる。そして、溜まった水は、また水蒸気になり空に昇る。

このように廻ることを「環」「循」と言ったりする。

禅宗の絡子(らくす)といって前掛けみたいなものをしますが、そこに付いているのが「環」。めぐるという意味である。

また円相といって○を書くがこれも同じ意味がある。

阿吽には、宇宙の始まりと終わりという意味があるが、こういう考え方からきている。
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かわいい子には、苦労が必要

2012/05/01 00:09
昨日、テレビを見ているとNHKスペシャルで新型うつについての番組がやっていたので見ていた。

その中で「いい子症候群」
過保護に育て過ぎたというのが、大きな要因の1つではないかと話されていた。

こんな話があるので紹介します。

「うなぎの稚魚を海外から輸入すると90%ぐらいが死んでしまうそうです。
そこで、どうせ死んでしまうなら、天敵であるマナズを入れてみたそうです。
すると、20%くらいがマナズに食べられてしまうのですが、残りの80%くらいは生き残ったそうです。」

この話は人にも通用する気がします。
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七曜

2012/04/23 23:27
日月火水木金土、これを七曜といいます。

これは陰陽と五行が合わさったものです。

東洋医学では、日が陽を表し、月が陰を表します。

そして、五行とは木火土金水のことをいいます。

これを合わせて今の曜日になりました。

ちなみに、七曜の前は六曜でした。

六曜とは、大安、先勝、友引、先負、仏滅、赤口をいいます。

昔は1ヶ月を6等分して考えていました。



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外相仮徳を以って是を見るべからず

2012/04/16 22:46
これは、「外見や理解力の違いなどで人を見てはいけない」ということです。

昔、孔子の弟子になりたいという人がきました。
孔子がその理由を問うと、参内にいる孔子のきらびやかな姿を見て、威厳があったので、弟子になりたいということでした。
それで孔子は、金銀財宝をその人に与え、「あなたは私の弟子になりたいのではない」と言いました。

また藤原頼道(当時、関白)は、ボロボロの服を着て、宮中内の湯沸しの所で火を焚いているのを見ていました。
すると役人がきて「何者だ!断りもなく入るな」と言われ、追い出されました。
そこで服を正装に着替えて、先程の湯沸しの所に行った所、その役人が逃げてしまいました。
それで頼道は、衣装を拝み、「私が尊敬されるのは、徳ではなく、この衣装のお陰である」と言ったそうです。

人は、外見や地位で判断しがちです。
私も学生時代にいくつかアルバイトをしていました。同じ接客をしても制服が違うだけで、相手の受取る印象が違う経験をよくしました。

今は衣とお袈裟に、ただただ感謝するのみです。
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霧の中を歩いていると自然と服が湿る

2012/01/06 22:05
これは、正法眼蔵随聞記に書かれています。

「霧の中を歩いていくと自然と衣服が湿るように、善き人に近づいて生活していると、気が付かないうちに善い人になっている」というのです。

「人の心、もとより善悪なし。善悪は縁に随いておこる」

つまり環境や条件に随って善悪が起きます。

野菜は土や栄養や水や日光や気温などの縁によって成長していきます。

例えば、三月のお彼岸終わりから、ジャガイモを埋めても霜が降りれば最悪です。
また、五月になってからでは、ジャガイモの育ちが悪く、小さいジャガイモしか採れません。
その年の環境や条件によって、蒔くタイミングが違えば、収穫はほとんどありません。

人も生まれ育った縁の中で人格を形成していきます。
だから、よりよい環境に身を置き、善縁に随い、よりよい指導者について勉強することが大切です。

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眼横鼻直(がんのうびちょく)

2012/01/03 00:24
あけましておめでとうございます。

眼横鼻直とは、眼は横に鼻はまっすぐ縦にあるということです。当たり前のことですね。

曹洞宗の開祖である道元禅師は、「ありのままが仏法であり、日々の修行が、そのまま悟りである」とおっしゃっています。

昨日の新聞の一面に豊かさとは?とありました。
その一つの答えに「ないものを得ることだと思っていたが、当たり前があることだと気付かされた」と書かれてありました。

脳生理学者の有田先生の本によれば、人はないものを欲しがるとき、脳内でドーパミンが出ているそうです。
これが「もっともっと」欲しいとなると、ドーパミンが亢進して依存症になってしまいます。

だから、どこかで「より快適に」を見つめなおして、今ある当たり前の生活に気付く時代に来ているのではないでしょうか。


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一つの事に集中する!!

2011/01/16 22:16
[一事を専ら好み修すべき]

この禅語の意味は、
「多くの事を同時に学んで、どれも完成しないよりは、唯一つの事だけに徹底して、人前にも通用するほどに学ぶべきである」という意味です。
 
これは正法眼蔵随聞記に書かれているお言葉です。

正法眼蔵随聞記とは、道元禅師がお話をされた内容を弟子の懐奘禅師がメモをしたものです。
これが後に発見され正法眼蔵随聞記と名付けられました。

インターネット時代になり、色々な情報や知識が簡単に手に入る時代になりましたが、このお言葉は現代にも当てはまる気がします。
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トイレの神様

2011/01/04 15:43
昨年の紅白歌合戦に「トイレの神様」という歌がありました。

トイレには、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られています。

烏枢沙摩明王とは、古代インド神話においてアグニと呼ばれた炎の神であり、

「この世の一切の汚れを焼き尽くす」という神力を持つことから、心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとする、幅広い解釈によってあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏であると解釈されています。

しかし、本来は浄、不浄の分別心を除くために祀られているといわれています。

本山での修行時代、トイレ掃除する時は食器洗いで使うスポンジのみで便器を掃除していました。

始めの頃は、便器に手を入れる事に抵抗がありました。それは、汚いという意識があった為でしたが、毎日掃除しているうちに汚いという意識がなくなった経験があります。

「トイレには綺麗な女神さまがいるんやで、だから毎日綺麗にしたら女神さまみたいにべっぴんさんになるんやで」と歌にあります。

烏枢沙摩明王は、非常に怖い顔をしていて、女神さまではありませんが、私もトイレには女神さまがいるような気がします。
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衣里の宝珠(えりのほうじゅ)

2009/09/23 21:38
これは法華経(ほけきょう)というお経に出てくるのですが、法華経というのは諸経の王様と言われていまして、いろいろな例え話、比喩が書かれております。この衣里の宝珠というのは、五百弟子受記品という章の中に出てくるお話であります。

宝珠というのは宝石。
衣の裏に宝石が縫い付けてある。これを衣裏の宝珠といいます。
あるいは、この宝珠は無価(むげ)、値打ちが付けられないほどの高い宝珠という意味で無価の宝珠ともいいます。それでこの比喩はこのように説かれています。

『昔、あるところに金持ちの男と貧乏な男がいました。二人は境遇こそ違うものの、大親友でした。ある日貧乏の男が街を歩いていると、そのお金持ちの親友に会いました。それでお金持ちの家に行き、酒を酌み交わす内に、貧乏な男は酔っ払って寝てしまいました。
お金持ちの友達は仕事があったものですから行ってしまいます。
行く前に、値が付けられないぐらいの素晴らしい宝珠を衣の裏に縫い付けて行ってしまいました。ところが、縫い付けられた貧乏な男は寝てしまっているので、そのことに気が付きませんでした。
しばらくして、一旗挙げようと考え、遠い国へ旅立った貧乏な男は、働いても働いても小さい店さえ持つことができず、相変わらずの貧乏暮らして苦労していました。
そこへ金持ちの男とまた街で会いまして、貧乏暮らしで覇気を失っている男に、金持ちの男は「お前の衣の裏に無価の宝珠を縫い付けておいたのに、そしてそれは、今尚付いてある」と言いました。』という話です。

我々は、誰もが素晴らしいものを持ってこの世に生まれてきているのですが、そのことには気が付きません。気が付かないから、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)とか、意識を使って自分勝手にいろんなことを考え、あるいはいろんなことにおぼれたりしているわけです。
つまり、素晴らしいものを持っているということを忘れるというのは、どういうわけだという比喩であります。

宝は誰にでもある。
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たくあん漬け

2009/05/06 22:33
友達にラーメン好きな人がいる。

東京のラーメンはどこが美味しいか尋ねたら、覚えられないくらい色々なお店を教えてもらった。

人それぞれ好みが違うから、美味しいと感じるポイントも違うが、結局はお腹が減れば、何でも美味しいと言っていた。

沢庵宗彭(たくあんそうほう)
江戸初期の禅僧である。

三代将軍、徳川家光が美味しいものを食べたいと言い、家臣たちに作らせるが、美味しいものにめぐり合えなかった。

そこで沢庵和尚が、最高の美味をごちそういたしますと招待する。

家光は招待され、楽しみにそのごちそうを待つが何時間経っても出てこない。

お腹がグゥグゥ減った頃、ようやく食膳が出てきた。

食膳に運ばれてきたのは、ご飯と大根の漬物だったという。

家光はこれを食べ、大変気に入った。

沢庵和尚は、空腹の時こそ最高のごちそうと諭したことから『たくあん』と名づけられたという説がある。

求めるのではなく、気付くことが大切である。
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無ければ苦しみあっても苦しむ

2009/04/19 23:46
『それ富貴は求むる時甚だ苦しみ、
既に得おわって守護するときにまた苦しみ、
後還って失えば憂念してまた苦しむ。
三時の中に於いてすべて楽しみあること無し。』

財産を所有するにあたり三段階の苦しみがある。
何かが欲しいと思って追い求める苦しみ
財産を維持する、守る苦しみ
手に入れたものを失う苦しみ


正法眼蔵随聞記の中に
『世の中の人を見ると、財産のある人は、まず怒りと恥の二つの難が、必ずやってきている。
財産があると、人はこれを奪い取ろうと思う、私は奪い取られまいとする、
そのとき、怒りの心がたちまちに起こる。
あるいは、これを討論して訴訟が起こって対決するようになり、ついには闘争や合戦に至る。
このような間に、怒りの心が起こり恥をさらすことにもなる。
貧しくて欲張ることがないときは、まずこの難を免れることができる。安楽で自由である。』
と示されている。

財がなければ無い苦しみがあり、あればある苦しみがある。
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無理をしない

2009/04/03 23:17
長く正座をしていると足がしびれる。

まれに、何時間正座してもしびれない人もいるが、だいたい30分〜1時間ぐらいで足がしびれる。

無理をして立とうとすると、足をひねって痛めてしまう場合がある。

無理をしようとするから、無理が出る。

特にあまり正座をしない人ほど、足がしびれると、早く立とうとして転んでしまう。

しかし正座に慣れてくると、足がしびれても無理をしない。

ある武芸者が弟子の技量を試そうと、格子戸を開けると上から短刀が落ちてくるような仕掛けを作り、弟子にそこを通らせた。

最初の弟子は、落ちてくる短刀を自分の持っている刀であっという間に打ち落とした。

次の弟子は、その仕掛けに気付き、その短刀を取り外してから中に入った。

三番目の弟子は、その戸を避けて別の入口から入ってしまった。

そして、武芸者は三番目の弟子に免許皆伝を与えたという。

達人になればなるほど無理をしない。
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あたりまえ

2009/03/26 22:07
こんな文章を見つけたので紹介します。

『心が変われば態度が変わる。

態度が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば運命が変わる。

運命が変われば人生が変わる。』

唐の時代、道林禅師に詩人の白居易が仏法の一番大事なものは何かと聞きました。

それに対して道林禅師は

「悪いことをしてはいけない。善い行いを実践せよ。常に自分の心を浄らかに保て」と示されました。

白居易が「悪いことをするな善い事をしろ、こんな事は三歳の子供でも言えることだろう」と言うと

道林禅師は「三歳の子供が言えるとしても、80歳の老人でも行うことが出来ないであろう」と答えられたそうです。

あたりまえと思えることほど難しい。

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新到よろしゅう

2009/03/18 20:10
ちょうど6年前の今日、修行道場の門をくぐった。

あれから6年が過ぎたと思うと、時間が過ぎるのは早いとつくづく感じる。

この先やっていけるだろうか、どんなことが待っているのか不安ばかりだった。

最初の一週間は、旦過寮(たんがりょう)といって部屋に監禁される。

その部屋には、何もない。時計もない。壁を向きながらただひたすらに坐禅をする。

檻の中にいる動物の気持ちが分かる。自由が全くない。

その部屋から出れる時は飯台の時か、東司(とうす)に行く時だけ。飯台とは食事。東司とはトイレ。

食事には作法がある。その作法を教えてもらいながら頂くのだが、丁寧に教えてもらえることはない。

にらみをきかせ、目を見ただけで怒鳴られる。少しでも音を鳴らしたら、殴られそうになる。

まともに喉を通らない。その一回の食事は、一時間半ぐらいかかる。足や腰、膝が猛烈に痛い。
これを一日三回もしなければならない。

しかも、朝昼夕と基本作法は同じだが、所々違う。なかなか覚えられない。

そして、夜になると、変な放送が流れる。

明朝差定を申し上げます。
4時振鈴
暁天(きょうてん)
朝課如常・・・・・・。
どうぞよろしゅう。

全く聞き取れない。その後大きな声で、どこから聞こえるのか分からないが、復唱している。
頭がチンプンカンプンになるほど、ワケが分からない。

朝は起こされるのだが、何時に起こされているのか分からない。辺りは真っ暗。

旦過寮を終え分かったのだが、2時半に起こされていた。

旦過寮を終えた後、看読寮に移るのだが、ここから大変な日々が続いた。
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定額給付金

2009/03/13 23:57
先週定額給付金が配られました。

その第一号者のおばあさんが、「定額給付金をどうしますか?」の問いに「ご先祖さまにお供えします」と言っていたのが、とても印象的でした。

今の日本で、頂いた物をどれくらいの人が、仏様にお供えするだろうか?

仏様にお供えすることにより、そこに感謝の気持ちが生まれ、思いやりの気持ちも生まれる。

いつのニュースか忘れたが、相合い傘禁止の小学校がありました。

その理由は、一本の傘に二人が入ると二人とも濡れてしまいます。

傘をもっていた家の子が、なんで傘をもっていなかった子供の犠牲にならないといけないのか。

もし風邪でもひいたら、学校は責任を取ってくれるのか、ということで禁止になったのです。

自分さえ、自分の子供さえよければいいというのは、非常に寂しい考え方です。

困っている人がいても、自分じゃないから知らないと、よそ目を向いてしまう社会は、いくら豊かになっても、どこか満たされない社会です。

おかげさまの気持ちを持ち続けてもらいたい。
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ゆで蛙(かえる)

2009/03/05 22:40
今年の3月で母校の中学校が閉校になる。

そこで、先生方をお呼びして同窓会をした。久しぶりに会う先生方や仲間たちとの時間はあっという間だった。

体形が変わった人もいるが、あの頃と変わらない雰囲気や性格。自分の歳を忘れ中学生に戻った気がした。

同窓会の中で先生がゆでがえるの話をした。
「熱湯の入った容器に蛙を入れると、その蛙は熱さにびっくりし、すぐさま容器から逃げ出してしまう。しかし、水を入れた容器に蛙を入れ、その容器ごと火にかけると、蛙は水温が上がっていることに気づかず、最後には茹で上がって死んでしまう。」
そうならないようにと話された。

今朝の新聞に、姫路城に落書きという記事があった。

自由な時代になったが、なんでもやってもいいというわけではない。

自由というのは、規律があるから自由を感じる。

規律がなくなった自由を『わがまま』という。

わがままとは、辞書で調べると、相手や周囲の事情をかえりみず、自分勝手にすることをいう。

わがままが増えると、最後はゆでがえるのように茹で上がってしまう。
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ワケあり商品

2009/02/23 19:49
最近ワケあり商品に人気がある。

ちょっと形が悪かったり、キズが付いていたりしていただけで、ワケあり商品になる。

例えば人参の形が悪かっただけで、同じ土から育ってもワケありになる。

価格が安くなるのは嬉しいが、同じ土から育った作物が、姿形が悪いだけでワケありになるのは、理解しがたい。

確かに味覚というのは、視覚や嗅覚に左右されるが、姿形が悪くても味自体は変わらない。

私の住んでいる所は、作物を作っている人が多く、出来た作物を近くのサービスエリアに出している。

この形では売れないと言って、もらったことがあるが、どうして?なにが?と疑問に思った。

味は天下一品。生でいただくと甘みが出て、これが自然に育った作物だと思った。

物が無い時代は、姿形にとらわれなかった。物が豊かになり、姿形まで完璧にしなくては売れない時代になった。

そして今、姿形が悪いものはワケありとして売られている。

同じ土、同じ空気、同じ水で育った命にワケありなんていうものはない。

ワケありなのは、消費者、我々の心ではなかろうか。

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書きたい放題

2009/02/14 20:48
2ちゃんねるを初めて見てみた。

普段言えないことを、書き込んでいる人が多い。

いつからこんなに、相手の悪口や中傷することが多くなったのだろうか。

とても寂しい社会である。

土産を持って相手の家に行き、差し出したものを相手が受け取らなかったら、その土産は持って帰らなければならない。

それと同じように悪口や中傷を相手に浴びせても、相手が受け取らなかったら、自分自身に跳ね返ってくる。

今日、もみじの植替えをしたのだが、根がものすごくはっていて、移すのがとても大変だった。

相田みつをさんの詩に「風雪に耐えただけ 土の中に根が張るんだな」とある。

相手の悪口や中傷することは、誰にでも出来る。

しかし、じっと耐えただけ、品が出てくる。

品格は人生からにじみ出る。

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鬼は内!?福は内

2009/02/08 08:20
今週節分があったが、多くの人は「福は内、鬼は外」と言いながら豆をまく。

福ばかりを入れようとして、鬼を追い出した方がいいと考えている。
 
涅槃経(ねはんきょう)にこんなお話がある。

『吉祥天という福の神と黒暗天という貧乏神がいた。二人は姉妹で共に行動をしていた。

ある家に、とても美しい女の人が訪ねてきた。豪華な服を着て、見るからに気品のある女性。
その女性は「私は吉祥天という福の神です。あなたに福徳を授けに来ました」と言います。
家の主人は大変喜んで、家の中に招き入れた。

ところが、その後から、もう一人の女性が入ってこようとしていた。こちらのほうは、見るからにみすぼらしい醜い女性でした。
「あなたはどなたさまでしょうか」と主人が聞くと「私は黒闇天といいます。私のいくところは、必ず災難がおきる貧乏神です」と言います。

その主人は、貧乏神に家の中に入ってこられてはたまらなかったので、無理やり戸を閉めて貧乏神を追い出そうとしました。

するとその貧乏神である黒暗天は「先ほどの福の神である吉祥天は、わたしの姉です。わたしたち姉妹はいつでも一緒に行動しています。わたしを追い出せば、姉の吉祥天もこの家から出て行きますよ」と言う。

主人は、貧乏神の言葉を信用せず、貧乏神を追い出しました。すると、吉祥天の姿も消えてしまいました。』

福の神というのは幸福を意味し、貧乏神というのは不幸を意味する。

幸福ばかりでは、おごりが生まれ、不幸ばかりでは、負のオーラが染み付く。

しかし、貧乏神が染み付いている家には、福の神も離れない。

自分の福に気付きたい。
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